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【第5回】 2013/3/7(木)

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 【第5回】 あやかり銀座

 

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 戸越銀座はよくあやかり銀座の第1号と言われる。本家東京都中央区銀座の名を拝借し、○○銀座と名乗る商店街は全国に数百はあるといわれるが、戸越銀座が本当に第1号かどうかははっきりしていない。しかしながら本家銀座と少なからずご縁があるのは本当だ。

 銀座は明治5年銀座大火の後、街の不燃化を目指し煉瓦造りの街並みを造っていたが、大正12年の関東大震災によって壊滅的な被害を受け、煉瓦街は消滅する。その跡には大量の煉瓦の瓦礫が残ったという。

 

 やはり大震災で壊滅的な被害を受けた東京下町や横浜方面の商業者たちは、当時発展著しい工場地帯の大崎駅周辺である戸越銀座に活路を見出し、新たな商店街を形成し始めていた。三ツ木通りから戸越銀座通りは全長2キロ以上に及ぶ長い一本道で、両側が坂道の河川のような構造の為、非常に水捌けが悪く、ちょっとした雨量でも浸水してまるで川のようになる大変な土地だったそうだ。店舗は通りに面した部分こそ平らなたたきだが、生活する店舗奥の自宅へは、水が出た時に浸水しないよう4~50センチかさ上げされて設計されていた。

 
街の灯りふたたび
暗渠排水(下水)の大工事
現在のハリマヤ前
 

 今でこそ電線が地中化され、美しい空がいつでも望める安心安全が確保された最新の街路を誇るが、昭和30年代中ごろ暗渠排水(下水)の大工事が行われるまでは、どぶから溢れ出る水が商店街の人たちの悩みの種だったという。舗装も無い砂利道に水が出るとぬかるんでしまい、お客様もとてもじゃないが歩き辛い。そんな折り、銀座で発生した大量の煉瓦瓦礫処理が問題になっていたそうで、現代でも東日本大震災の瓦礫処理が問題になっているように、復興に向けた様々なアイディアが出されていたようだ。

 

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~著者プロフィール~

 

 

 

亀井 哲郎 (かめい てつろう)

 

昭和38年 戸越銀座生まれ。

 

家業の宝飾・時計・眼鏡販売店

「ギャラリーカメイ」を営む。

 

若くして、 

戸越銀座銀六商店街振興組合

理事長に就任。

 

商店街のブランド化などに取り組み、戸越銀座を全国区の商店街に育て上げた人物の1人である。

講演会なども全国で多数行っている。

 

 

 品川区商店街振興組合連合会では専務理事を務める。

 

http://www.togoshiginza.jp/

 

 

 

品川区商店街連合会
東京都品川区西品川 1-28-3 中小企業センター4F
TEL:03-5498-5931 FAX:03-5498-5933